6-27

  • 2018.06.28 Thursday
  • 04:45

 

今日はなにもない一日で、いや正しくは夜体操教室があるけど、20時からだから、それまでなにもない一日で、

水曜日は映画を観るのがいつもの過ごし方なんだけど、どうしても観たい映画もない。

それでだから寝ることにした。

今日は風が強かった。

窓を開けると、カーテンが大きく揺れる。

暑すぎず、寒くもなく、ちょうどいい、光と風、心地よい。

左足のほう、壁の隅に丸くなって眠るももが居る。

ももが寝ている。

わたしも寝ている。

二人というか二匹というかわたしたちは、光と風の中、ずーっと寝ていた。

ももは最近一気に元気がなくなってしまってご飯をほとんど食べない、なんとなく、そろそろかなと、心の準備をしている。

こうして二人というか二匹というかわたしたちがいつもでも寝ていた今日のことを忘れないでいたいと思いながら寝た。

 

夜、試聴室の体操は男性3人、女性1人、始めて男性の方が多かった。

改めて男性の体と女性の体の造り、稼働域や体の使い方の違いに頭を抱える。

同じ動きを同じカウントでやるのは有効じゃない。

男性には男性の体操を考えないとなぁ。

体も大きくて硬いから力がいるし時間もかかって終ったの21時半。くたくた。

そこから根津さんのいつものおしゃべりタイムが23時過ぎまで、

家に帰るとももは寝ていた。

今も、寝ている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5-26

  • 2018.05.27 Sunday
  • 03:17

 

おとつい、7時のバスに乗って大阪から東京に戻って来た。

15時半に大崎駅に着いて、仕事までまだ少し時間があったから、荷物をガラガラ轢きながら五反田まで歩き、おにやんまで鳥天うどんを食べた。

まだ大阪に居たかった気持ちと東京に戻ってきた安堵感みたいなのが入り交じった味がした。

大阪ではdracomリーダー筒井さんのご自宅に滞在させてもらっていたのだけど、わたしは実家というか、帰る家がないから、

朝起きたらみんなが居て、一緒にご飯を食べて、テレビを見て、コーヒー淹れたらまたみんな集まって飲んでって、そういうことにいちいち感傷深くなっちゃって、向こうにしたらそんなわたしがちょっとうっとうしかったかもしれないけど、それでもわたしは嬉しくて、幸せだった。

それにうまくいかないことが続いて落ち込んでいたけど、筒井さんのお父さんが「あかんあかん、ボブ・デュランの歌にもあるやろ、なんとでもなるって、気にせえへん、大丈夫」って繰り返し言ってくれたおかげで元気になれた。

 

今日はblanClass農園で体操教室をした。

 

とりあえず、ここまでで一区切りする。この5ヵ月で7本くらい?作品作ったり出たり、した。

ちょっとくたくた。少し休もうと思う。

 

4-30

  • 2018.05.01 Tuesday
  • 01:44

 

 

今日はSICF19というイベントに参加するために朝からずーっと表参道にいた。

先週はこの作品を一気に仕上げなくてはいけないこと、いくつかの平行した仕事、そしてとてつもなく衝撃的な出来事があって、心も体も頭もみんな疲れた。

 

4月が終った事に心底ホッとしている。

5月はどうだろうか。

やさしいだろか。

 

 

 

 

『待ちあわせ』

  • 2018.04.27 Friday
  • 02:05

 

2018年4月22日、日曜日、17時、神保町試聴室で『待ちあわせ』という作品を発表しました。

この作品は音楽家でイラストレーターの黒岡まさひろさんとの共作でした。

ここに、わたしのパート(芝居)であるテキストを公開します。

本編は交互に黒岡さんの歌やお芝居やラジオ番組が入る構成になってました。

 

宝物のような幸せな作品になりました。

黒岡さんに感謝。

観にきてくださった皆さまも、どうもありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

1.電話

こんにちは。わたし高山と申します。高山玲子と申します。急に電話してすみません。あの、突然なんですけど、

お会いしたいなと思いまして、そうです、あなたと、いえいえ、変な勧誘とか誘惑とかでは全くありませんので、

ただ、一度お会いしたい、というだけなんです。

もしよろしければ、よろしければ、4月22日の日曜日、午後、5時に待ち会わせしてくれませんか?

ちょっと、会ってお話し出来ればそれで十分です、すぐ、終ります、から、はい、はい、はい、では、はい、ええ、

ありがとうございます!よろしくお願いします!あ、わたしはくすんだピンクのコートを着て行きます。

いえ、綿です。わたしは黒岡さんの顔、知ってますから、大丈夫です。ありがとうございます。では、5時に。

 

2.4月11日

『待ちあわせ』まであと10日、なにをしようか相変わらず考えていて何も浮かばず、少し台本を書いたけど、果たしてこれが面白いものになるのか、確信が持てない。逃げ道と言うか、安全対策のようなもののつもりなのだろう。

黒岡さんは今日は何をしているのかな?先週撮影をしてから一週間経つが連絡がない。撮影した動画もアップされない。

だからといって責めている訳ではない、きっと彼は彼なりに考えて理由があって連絡しないのだろう、と思う。思うことは自由だ、これはわたしの自由であって、真実ではない、わたしはわたしが安心したいだけかもしれない、だけど、この思うという行為は、経験と実績と勘によりひとつの答えを導き出している訳で、わたしはこの自身による思い、を予め、信頼しているのである。だから「だいじょうぶ」、と思うことにする。

今日は体調が優れない。優れないといっても今は朝の6時になろうとしているから、優れないなら寝ればいいんだけど、不安で寝てはいけないような焦りがある。全然本当は「だいじょうぶ」なんかじゃない。黒岡さんと、『待ちあわせ』できるのかな、来てくれたら、会って、それでだからどうって、わからないなぁ。

 

3.4月12日

今日も黒岡さんから連絡はなかった。

今日は目が覚めてすぐ、といっても昼の3時だったんですけど、走った。近所をぐるっと、約3.5キロくらいのコースがあって、わたしのランニングコースなんだけど、数年走ってなかったんだけど、先週から走り始めた。ちょっとむしゃくしゃしたことがあって、それで頭を切り替えたくて走っていることころがあって、これどうなんだろう、効果あるのかわからないけど、走るとなんかちょっとすっきりするところはある。

黒岡さんはスマートだけど何かしてるのかな、健康のために何か、とか、とか、とか、

黒岡さんのこと何も知らないなぁ、ほんとに何も知らないなぁ。いったい何したくて、何が出来ると思って誘ったんだっけ、ただの迷惑だったんじゃないだろうか、だって連絡ないし、何するかわからないから、観に来てよと人誘うにも誘いづらい、というかほんといって集客とかどうでもいい、わたしに興味ある人なんて、ほとんど居ないだろ、それについても最近もうどうでもいいやと思っているところがあって、それはわたし自身、人のことをどうでもいいと思っているところがあるからで、だから何も言えない。だってわたしも全然どこも行かない、あんまり興味がないから。

「冷たそうだよね、人に、そういう印象、昔から」と先週、言われた、むしゃくしゃの理由の一つ、この人のこの言葉は、けっこう前にも言われていて、わたしはたまに自分と合わない人を無意識に排除してしまうところがあって、そのことを指摘された。だから気をつけて、注意深く、してきたはずなんだけど、また言われた。やっぱりわたしは人に冷たいのかな、どうでもいいと思っているから、だから黒岡さんにも「どうですか?来週ですけど?」って聞けずにいるのかもしれない。連絡はしないけど、会った時のシュミレーションだけしておく。

 

高山 どうも、黒岡さん、ですね、わたし、高山です、高山玲子と申します。今日は来てくれてありがとうございます。

   黒岡さん、わたしのこと、お覚えてますか? 覚えてますか?あの、あの、あの日のことなんですけど、、

 

4.4月13日

昼のバイトを休んでしまった。また、起きたら10時で、1時間遅刻していて慌てて電話をかけたら「どうするの?だめ?来るの?わかんない?はいじゃあ来れるんならもう一回連絡して!」って、Hさんの語尾が今日は一段と荒っぽい。最近みんなが家庭の事情で休みがちで、Hさんに全部負担がいってるから、わたしは好き勝手休んでいるいいご身分で余計にイラッとするんだろう。どうもすみません。

夕方起きて、銭湯の番台に行く、銭湯の番台をしながらメールを返したり『待ちあわせ』について考えたりした。

『待ちあわせ』何をやるか決まってないし、こんな不安定な状態なのに、終ることが少しさみしいと思った。毎日こうして『待ちあわせ』について考える、『待ちあわせ』たら何しよう、何言おう、何起きるかな、って考えるのが割と楽しい、22日に、黒岡さんと『待ちあわせ』してしまったら、もう会うこともないかもしれない。そんな予感が充満してる、だってもともとぜんぜん会うこともなかった人だから、この先も進展はないだろう、きっとたぶん。なんて思う(思いは経験と実績と勘による)と寂しくなった。寂しい。

 

5.4月14日

もう土曜日だ、来週の日曜日まで、あと7日か、相変わらず、黒岡さんから連絡はなかった。

ああ、早く終らないかな、憂鬱。なんだか『待ちあわせ』のこと考えると憂鬱。なんでこんなことしようと思っちゃったんだろ、なんで頼んじゃったんだろ、一人でやればよかったか、やめたいな。

だめだまた考えちゃった、そんなことはないです、なんてのは思わない。思ってないです。

『待ちあわせ』したらいい、『待ちあわせ』さえできたら、きっと大丈夫、まだ何か奇跡のような事が起こるような気がしている。今日も、そう言い聞かせた。

今日は昼から体操教室で、最近体操教室に来る人少なくて、ちょっとモチベーション厳しい、けど佐藤さんと若い女の子が来てくれた。若い子の肌はすべすべしていてやっぱり気持ちが良かった。とかこれ男性がいったら今、大変なことになるんだろうな、わたしは自分が平均的な女性の考え方や意識を持っていないような気がするから「me too」は躊躇してしまう。共有することが出来ない。「わたしの良いはみんなの良いではない、みんなの良いはわたしの良いではない」でしょう。今日はめんどくさい書類を仕上げた。明日送ろう。おやすみ、黒岡さん。

 

6.4月15日

今日は日記を付けるのはやめにして、さっき浮かんだシーンをやります。 

 

高山 あなたが口を聞かなくなってから、随分長い時間が経つわ、わたし、最初は戸惑った、あなたに、小馬鹿にされているのかと思って、とても悲しんだわ、でも今は違う、あなたはわたしを小馬鹿にする為に黙っている訳ではない、あなたの目を見るとわかる、あなたは出口が見つけられず彷徨っているのよね、正直言うとね、わたし今とても幸せなの、口を聞かないあなたと永遠に一緒にいられるじゃない、だってあなたは何も言わないから、わたしはずっとあなたの側に居られる、わたしは永遠にあなたの側に居る事にするわ、きっと、飽きるまで、わたしが飽きたら、あなたは終ってしまう、全てがわたし次第、そう思うとね、わたしとても幸せなの。

 

7.4月16日

疲れが溜っている、しんどい。休みたいけどこの前休んだから、バイトに行く。バイトが終って歯医者へ行き、家に帰って20分横になるつもりが熟睡してた。それから家から歩いて3分の区民集会所へ、今日は体操教室なんだけど、だれも来ない予感というか来ないで欲しいな、なんてちょっと思ってたんだけど、フジワラさんが来ていた。だれか一人は来る。だれか一人でも来たら体操は行なわれるのである。一人だとうれしいとみんな言うけど、わたしは一人だからうれしいという感覚はないな。フジワラさん『待ちあわせ』に来てくれるらしい。それ聞いたら少しホッとした。誰も来ないような気がしてたから良かった。フジワラさんと和室で二人きり、寝転びながら膝をかかえて天井を見ていた。体操してなかったらこんな時間訪れなかっただろうなと思う、変なの。フジワラさんはやさしいなと思って聞いたら、家族もみんなやさしいって、ご飯作ってくれたり洗濯してくれたり、犬がいたりする、やさしい家族。

フジワラさん日曜日の『待ちあわせ』に来るらしいよ、黒岡さん、『待ちあわせ』3人になってもいい?

フジワラさんが来る事をシュミレーションしてみる。

 

高山 あ、どうも、こんにちは。すいません、ありがとうございます、あの、わたし高山と申します、そうなんですね、いえいえいえ、うれしいです、来て頂いてありがとうございます。あの、あの、あのですね、あのわたし実は前に荻窪の音楽スタジオでアルバイトしてたんですけど、そこでフジワラさんに会ってるんですね、あーーーー、はい、あのそれです、それそれそれ、わたしです。なんかすいません、無愛想ってよく言われてたんですよ、いやいやほんとすいませんでした。いえいえいえ、でもわたしフジワラさんのライブ4回くらい見てるんですよ、町田のお寺で見たの、すごい良かったですー。あと、あと、あと、いえいえいえいえ、あ、そうなんですね、黒岡さんとも一緒にやられてるんですか、仲良し?いえいえ聞いてなかったんで、へーー、黒岡さん、フジワラさんも来てくれましたよ『待ちあわせ』、ところで黒岡さん、わたしのことは、覚えてますか?

 

8.4月17日

体調不良のため一日起きられず、『待ちあわせ』にも手を付けられなかった。

 

9.4月18日

目が覚めたら黒岡さんからメールが届いていた。ちょうど2週間ぶりだ。怖いことが書いてあったら【例 出られなくなった・もうやめたい・あなたとは出来ない とか?】どうしようと思ってなかなかすぐに開けなかった。それでも開いてみたら、映像の編集やってますって、遅れてすいません、って書いてあって、あやまってもらって逆にそんなすいません、みたいな気持ちになって、だってこんな毎日勝手に日記書いてて、もう映像なくてもいいやって思ってるから、映像出来たらどうしよ、逆に、みたいな、でもでもでも、映像作ってくださってるんだから、それが出来たらもっと面白く膨らむはずだ、そうだ、そうだ、「ありがとうございます!!よろしくお願いします!!!」、返信ってした。

今日は夕方から自主練で区民集会所を取ったから稽古にいく。座布団を床にいっぱい敷き詰めてごろごろ寝転んでいた。一人だとやる気が起きない。少し動きを考えたり、最初の電話の会話を試しに録音してみたりした。最後に、最後のシーンにどうかなと浮かんだやつをやってみたら、思ってた通り、なんだか良くて、それに満足してしまって、稽古場を後にした。その後、吉祥寺で「パシフィック・リム アップライジング」を観たらくそつまらなくて、監督変わるとこんなにつまんなくなるのかって、びっくりした。

 

10.4月19日

黒岡さんが動画を編集してYOUTUBEにアップしてくれた。36分ある。わたしは一日中アルバイトだから、全部流して確認するのは深夜になってしまう。それでもかいつまんでザッと流して見たらとても素晴らしくて、編集も上手だし、構図もキレイだし、黒岡さんってほんとにすごい方だなと改めて思い知った。

今日のわたしは、バイト先で昼ご飯何にするかっていうささいな事でちょっといがみ合ってしまって、最後まで口をきかないで退社したのと、知人にラインするも概読スルーされているのとで、落ち込んでしまっている。わたしが何か気に触る事をしてしまったのだろうか、なら、わたしのせいで怒っているなら、あやまりたい。すぐにあやまりたい。わたしは自分のせいで怒ったり悲しんでいる人がいることがとてつもなくしんどい。

そうこう言って、もう『待ちあわせ』本番まで3日だよ、大丈夫かって聞かれたら、だいじょうぶじゃないだろう。

 

11.4月20日

今日は一日『待ちあわせ』の準備に費やす事にしたから、バイトは休みにした。今日まで書いた日記をだーっと、口に出して読んでみた。恐ろしく暗い、大丈夫だろうか、これ、こんなの黒岡さん聞いたら嫌な気持ちになるかな、どうしよう、今からやめて、でも他に何すればいいんだ、そうだ、そうだ、黒岡さんが送ってくれたメールに何か書いてあったわ(携帯見る)、

“今、考えてるのは、お互いにシナリオ(映像にあわせた)つくってきて、

2つの(映像は一緒)世界をつくるという感じです。

僕が、「待ち合わせ」をテーマにつくる世界と

高山さんが「待ち合わせ」をテーマにつくる世界

30分〜50分の映像に会わせるという。。。

それにお互いが振りつけるっていう感じです。

2つの(お互いが振りつけた)世界があるって感じですかね。“

 

なるほど、映像に振りをつける、か、

◆動画再生

映像に合せて同じ動きをする、黒岡さんも映像に合せて同じ動きをしてシンクロさせてみたり、

 

12.4月21日

それでは、わたしの考えたラストシーンをやって、そのまま22日、17時の『待ちあわせ』に繋げていきたいと思います。

 

トントン トントン トントントン 黒岡さーん 黒岡さーん トントントン 聞えますかー 聞えますかー

黒岡さん 高山です 黒岡さん わたしのこと 覚えてますかー わたしのこと 覚えてますかー トントン

あの日、待ちあわせ、しましたよね

覚えてなくてもいいんですけど 覚えてなくてもいいんですけど でももしよかったら あの

次 目が覚めたとき 歌をうたってくれませんか わたしのために 歌を うたってくれませんか

覚えてたらでいいんで うたってくれませんか

わたしのこと忘れててもいいんで お願いします じゃ また来ますねー  サヨナラ

(懐中電灯を持って床を這って戻る)

 

13.4月22日

黒岡 どうも黒岡でーす

高山 どうも高山ですー

二人 はじめましてー

黒岡 今日は皆さん『待ちあわせ』に来てくださり、ありがとうございました!それじゃあ歌を歌います『待ちあわせ』

 

『待ちあわせ』(歌)

 

ようこそぼくらの 待ちあわせ

電話をかけたのは わたしから

呼ばれてきたのは ぼくの方

ここで会いましょう 待ちあわせ

 

時間と場所を決めたら 何が起こるか

ただただわたしは 期待をしているの

 

ようこそぼくらの 待ちあわせ

電話をかけたのは わたしから

呼ばれてきたのは ぼくの方

ここで会いましょう 待ちあわせ

 

14.夕方の公園 

1 2 3 4 5 6 7 8 もーいーかい んん、、、

1 2 3 4 5 6 7 8 もーいーかい まだぁ、もーおそいよっ

1 2 3 4 5 6 7 8 もーいーかい? いいのー、いくよー さがすよー

はい、(振り向く) わっ、黒岡さん、見えてるけど、見えてるよ?もしかして、居ないふりしてるの?それ?

え、でもわたし見えてるけど、かくれんぼできてないけど、いいの?どうしよ、わたし、触るよ、いいの、ハイッ

 

 

おしまい 

 

 

 

 

director

  • 2018.04.26 Thursday
  • 03:51

 

 

direction

2018.1.10-11

「ゴーストライター」blanClass Anthology#3 on TPAM Fringe 2018 

構成・出演 高山玲子
翻訳・出演 荒木悠
撮影・編集 福井琢也
衣装 高橋 愛(suzuki takayuki)
会場 blanClass

 

 

 

 

 

 

 

2017.6
「強い思い込みより形成される世界その居心地について
ーOn the fanciful world and its comfortablenessー

企画・構成・撮影 高山玲子 

http://blanclass.com/japanese/schedule/20170617/

 

 

 

 

 

2014.3
「新しい映画」 コツブ桃山城  作・演出・監督/高山玲子  
http://kotubu-new-cinema.tumblr.com/











撮影:荒木悠・福井琢也

「新しい映画」 予告




「a case of a mountain」 劇中使用映画




2013.7
「床の下のコツブ」コツブ桃山城 作・演出・出演/高山玲子
http://kotubu-momoyama.tumblr.com/


2011.12
「コツブ桃山城の女子プロ王座決定戦」 コツブ桃山城  企画・構成・出場/高山玲子
http://d.hatena.ne.jp/kotubu-momoyama/


2011
「猫と鳥と目の中に子供の庭」アニメーション作品





2010  
「検索少年」七尾旅人ミュージックPVコンテスト出品作品





2009
「Pimple Traveling」  2010ピア フィルムフェスティバル 一次審査通過












2005
「漫画家の話」  2006・2007 クレモンフェラン(仏)映画祭 上映












2004
「聖歌隊物語」








other work

2015.7
core of bells
「怪物さんと退屈くんの12ヵ月」第13回公演「ヒアアフタートーク」
アーカイブ映像製作 荒木悠 × 高山玲子 

http://coreofbells.biz/?p=3005
 

   


2014.5〜2015.8
小島ケイタニーラブ トーク&ライブイベント「ラブナイト」
映像・美術担当 
http://lovenightrain.jugem.jp/

 

 


小島ケイタニーラブ「はるやすみのよる」



ラブナイト第七夜「〜ミス・リーディング・タイワン〜」ゲスト:若木信吾(写真家)、温又柔(作家)



ラブナイト第六夜「〜Magazine for Traveller〜」ゲスト:新井敏記(SWITCH・Coyote編集長)



ラブナイト第四夜「〜海猫、山猫、街の猫〜」ゲスト:大島保克(唄者)、坂本美雨(音楽家)



ラブナイト第三夜「〜獣になる夜〜」ゲスト:黒田征太郎(イラストレーター)



「MONKEY vol.3」刊行記念・柴田元幸トーク&朗読会



撮影・編集 高山玲子

 


 

 

3-6

  • 2018.03.06 Tuesday
  • 04:35

 

思い込むことでその世界をどんと作り出してしまう事ができる。

ひとつ大きく作ってしまうとなかなか出られない。

それでもそこは思い込みでしかないから現実が確かな(思い込みとは違う)応えを返した時そこで誤作動が起る。

そこでどういった処理を行なうかといえば、忘却だ、暴力的なまでの放り投げ、ひきちぎって捨てる。

俳優という仕事はそれの繰り返しでもあったから人より上手に出来るかもしれないけど、その回数が多くて捨てきれなかった(捨てられる事を拒んだ)ちりが溜ってたまに悪夢になって踊り出す。

どれが本当のことか、正しさとはなんだろう、これはだれの感情だ、わたしとはなんだ。

思い込みの中だけでは生きられない。

だれかにこれはいる、いらない、こうしなさい、必要ない、今日はこれを食べて、この曲を聞いて、この本を読みなさい、全部決めてもらえたらいいような気もする。

今が20年前の春ならいいのに、どうしてこんなに歩くのが遅いんだろうか、もうだれも居ないじゃないか。

正しくないと分かっていることに惹かれる、直進しながら逆走を計る心のエネルギーに逆らえない。

けど去年の春に決めたこと、わたしはなにも欲しがらない、求めない、ある物を受け入れ、与えられた物を大切に、真摯に取り組む。

 

 

しゃっくりが止まらない。

 

『ゴーストライター』

  • 2018.01.17 Wednesday
  • 02:40

 

 

『ゴーストライター』

 

 

ー わたしたちは、終焉を上演するものたちです。
参加者による、"ここから消えた時"の話しを聞き、テキストにし(荒木)、上演し(高山)、撮影し(福井)、作品にします。ー

 

( 死は、本人が語る事が出来ない。残されたものによる死、その記憶は、いったい誰のものだろう? )

 

 

どうしてこんな事をするのかと言われると、わからないのだけど、わたしはもうずっと、居る人と居ない人の違いがわからない。居ないのは、きっと居ないのだけど、会えないから、でも居ない人も居るんじゃないかと、居る場所で、とても居る、今ここにも、わたしたちと同じように、営み、悩み、遊び、泣いて、笑って、怒って、居るんじゃないかなと、思う。思う事が、居ない人を居ないものにしないことに繋がる、わたしの中では、それは居ることである。

 

居ると思い込んでいるわたしたちは、なぜ、自分が居ると言い切れるのか、わたしは自分が本当に居るものなのか、それすらもたまに疑わしい、ただ、確かに居るんだけど、今は、でも居ないものになった時、わたしはどこに居るのか、わたしが居ないものになった時、みんなはわたしを、居ないものにするだろうか、もう居ないと言うだろうか、願わくば、わたしが居なくなった時、わたしのことを、どこかに居ると、どこかで今も、営んでいると、今日も変わらず、居ると、思っていて欲しい、なんて思ったりする。居ることと、居ないこと、その境界線はそんなにくっきりと違わない、かもしれない、その線を、少し、ぼかしたい、一生懸命、消しゴムで消してみたい。

 

居たり、居なかったり、行ったり、来たり、出来たらいい、会えたらいい、想像してみること、居ない人が居る場所を、わたしが居る場所が全てではない。あっちもこっちも、全ては今ここにある、と。

 

 

TPAMフリンジ2018参加作品|演劇+WS(自由参加)

高山玲子[ゴーストライター]

 

http://blanclass.com/japanese/schedule/20180210-11/

 

 

構成 高山玲子
出演 高山玲子 荒木悠 + 参加者
撮影 福井琢也
衣装 高橋愛(suzuki takayuki)

 

【日本語・英語】

 

 

日程

2018年

2月10日(土)開場 19:00 開演 19:30 

2月11日(日)開場 15:30 開演 16:00

(両日、上演時間=70分程度を予定)

 

 

料金 一般 2500円 / TPAM特典の割引価格 2000円 

 

会場 blanClass  http://blanclass.com/

 

*参加するかは当日会場で説明を聞いた後に決めることが出来ます。
参加する場合と観るだけの場合、どちらであっても作品の本質は変わらないと思っています。(高山)

 

予約方法:以下の内容でイベント前日までに以下のアドレスに送信ください。
こちらからの返信を持って予約完了とさせていただきます。なお定員に達した場合などお断りすることもございますので、あらかじめご了承ください。

 

〈アドレス〉 info@blanclass.com

〈タイトル〉[ゴーストライター]

〈本文〉1)日にち 2)氏名 3)住所 4)メールアドレス 5)参加人数

 

TPAM 2018(www.tpam.or.jp/2018)に参加するblanClassのアンソロジー、Live Art & Archive Anthology #3 on TPAM Fringe 2018の中で行っています。チケットは以下からも購入いただけます。

https://www.tpam.or.jp/program/2018/…

 

 

*参加する方へお願い*

参加者は、もうここに居ない人たちです。われわれ『ゴーストライター』も、もうここに居ない人たちです。
もう居ない人として、ご来場、ご参加ください。
それについてのテキストは(参考にならないかもしれないけど よろしければ…)下記をご覧ください。

 

それでは、たくさんの方のご参加を、お会いできる事を楽しみにしています。
そして、最後になりましたが、今年もどうぞよろしくお願いします。

高山玲子

 

 

序説

 

わたしは俳優です。

わたしは19才の時に『演劇』を始めました。それからおおよそ18年間、俳優を続けています。
『演劇』というものは可笑しなもので、俳優はたくさんの人の前でぺらぺらとしゃべります。しかし客席から返事はありません。そこで見ている、そこに居るはずの人たちは、俳優からは見えていない人としてそこに居ます。そしてわたしたち俳優は、観客をそこに居ない人として扱います。

わたしは、わたしを一方的に見る人たちの前で18年間『演劇』を為してきました。これまでいったい何人の人がわたしの『演劇』を黙って観、そして去って行ったのでしょうか、今さら数える気もありませんが、
でもこれだけは言わせてください。『演劇』をするわたしから、あなたは見えていました。

いつもあなたはそこに居ました。
わたしはそれを知っています。
今まで見えてないふりしてごめんなさい。
という訳で、改めてここでご挨拶をさせてください。

 

どうも、こんにちはー

 

と言いつつ、あなたが返してくれた返事をわたしはスルーします。
ですからこれは『演劇』なんです。あなた(観客)が、わたし(俳優)を一方的に見ることが出来るルールに則って、わたし(俳優)は、あなた(観客)を居ないもの扱いすることができるんですよ。えへ。
なんてもうこんな下らないやり取り、この辺でお終いにしましょう!
という訳で、今度こそ改めてご挨拶をさせてください。

 

どうも、こんにちはー

 

あれ、やっぱりだれも返事してくれませんね、おかしいな。
だれも居ないみたい。
だれにもわたしの声が届いていないよう。
ここは陸の孤島、無人島か?
でもその理由をわたしは知っています。

なぜなら、わたしは、もう居ないからです。
わたしは、あなたたちに、見えない存在です。
わたしは、もうここに居ない。
ですから、もし、あなたにわたしが見えるなら、それは、あなたももう居ない人です。
わかりますか?

もう一度言います。
あなたの目の前に居るわたしは、もう居ない。
そのわたしを見ているあなたも、もう居ない。
わたしたちはお互いに、もう居ない人たちなのです。
だからもうお互いに、居ないもの扱いするのはやめにしましょう。

ということで、最後にもう一度ご挨拶をしましょう。

 

どうも、こんにちはー

 

お返事ありがとう。
それではこれから演劇を始めます。

これから行う上演は『あなたが消えた時のこと』です。

 

 

An introduction

 

I am an actor.

I started doing “theater” at the age of nineteen.
Since then, I’ve been an actor for almost eighteen years.
“Theater” is a funny thing; the actor speaks loquaciously in front of many people.
But there are no answers from the audience seats.
To the actor, the people who are watching and the people who are supposedly there, merely exist as invisible beings.
And we, the actors, treat the audience as if they are not present.

I’ve been doing “theater” for 18 years in front of those who see me one-sidedly.
How many people thus far have watched my “theater” silently and have gone away?
I don’t feel like counting now, but let me just say this.
While doing “theater,” I could see you from here.

You’ve always been there.
I know that.
I’m sorry for pretending that I didn’t see you until now.
So, please allow me to greet you again.

 

Hi, how are you doing?

 

Having said that, I’m going to ignore your response.
Therefore, this is “theater.”
According to the rule, you (the audience) can unilaterally see me (the actor), and I (the actor) can treat you (the audience) as if you don’t exist. Ha!
But let’s cut the crap and get straight to the point!
So, please allow me to greet you all once again.

 

Hi, how are you doing?

 

Hmm, still no one is answering me, well that’s strange.
Like nobody is here.
My voice isn’t reaching anyone.
Is this an isolated area, or a desert island?
But I know the reason why.

It is because I’m no longer here.
I’m an invisible being to all of you.
I don’t exist here anymore.
So, if you could see me, then it means that you don’t exist either.
You know what I mean?

I will say it again.
I, who are in front of you, am no longer present.
You, who are watching me, are also not here.
We are the people who no longer exist.
So why don’t we stop treating each other as if we are both gone?

Anyways, allow me to greet you one last time.

 

Hi, how are you doing?

 

Thanks for answering.
Now, let’s begin the theater.

The performance you are going to see is about ”the time when you disappeared.”

 

 

 

 

 

  

 

 

 

12-12

  • 2017.12.14 Thursday
  • 01:16

 

 

年が明けたら 試聴室に出ます

 

2018年1月7日(日)

 

出演

 

高山玲子
横山彰乃+フジワラサトシ
ネコの影
(戸井安代、伊藤琢矢、不知火庵、並木万実、山我静、ゆっきー、猫村アヤ)

 

op 18:00
st 18:30

 

予約 2500円 (1d+スナック込)

 

神保町試聴室
 

http://shicho.org/2018/01/1event180107/

 

 

わたしは一人芝居をします。

 

歌う、みたいに演劇したい、新曲作る、みたいに芝居作りたいなと思って、

それで歌う人と対バンしたいと思っていたら、試聴室の根津さんが誘ってくれました。

 

歌が一人でどこでも歌えるみたいに、演劇も一人でどこでも演れる。

 

と、思えたのは10月の『もうそこに居ない人たち』で頂いた感想に「演劇はどこででも出来ていいな」とあったことでした。

それはわたしがずっと、音楽をやってる人に、いいないいなとぼやいていた口癖だったんで、あれ、わたしいつの間にか出来てた、びっくり!みたいな感じです 笑。

 

そして、歌が歌う人の数だけみんな違うように、俳優がそれぞれ芝居を作れば、その数だけ多様で個性的な作品ができるはず。

それはまた作家が書いて、演出家が演出したものとは違う俳優の面白さだろうし、面白くなくてもいいし。

要は、音楽家がデモテープ作ったり、デザイナーがポートフォリオ持ち歩いてるように、俳優も自分の作品を持っていたら、いつでも自分プレゼンできるじゃない。呼ばれないとお芝居出来ないのもったいないから、その時間で一人芝居作ったらどうでしょう。という提案だったりもします。

 

わたしの来年の目標は、好きな音楽家とばんばん対バンすること、音楽と音楽の間に演劇を挟む。
音楽を聞きに来た人たちに、流れる同じ時間の中で演劇を楽しんでもらいたい。
 

そして、演劇面白いね、ってなったら、どんどん俳優個人の仕事も増えるわけだし、すごくいいと思う。

というわけで、俳優の未来のためにも、がんばります。
1月、神保町の方の試聴室に、ぜひー。

 

 

 

そして、2月は『ゴースト ライター』という作品を発表します。
来年のすべてはここにかける意気込みの作品なんで、また近々、全力でお知らせします!

 

 

TPAM フリンジ

blanClass Anthology #3

 

『ゴースト ライター』

 

構成 高山玲子

出演 高山玲子+荒木悠+参加者

撮影 福井琢也

 

2.10 sat 19:30

2.11 sun 16:00

 

https://www.tpam.or.jp/program/2018/?program=blanclass-anthology-no3

 

 

 

12-6

  • 2017.12.07 Thursday
  • 02:29

 

今日はお昼に待ち合わせて浅草のモンティーでご飯を食べた。

連れて行ってくれたのは照明家の中山奈美さん。

奈美さん本当はモンティーのはす向かいにあるオーセンティックというベトナム料理屋さんがおススメだったらしいんだけど、あいにく今日はランチ営業はしてなかった。

二人で、魚貝の春雨炒めとゲーンキョウワンとバミーモンティをシェアして食べる。

ゲーンキョウワンとバミーモンティすっごい辛かった。

辛くしないでと伝えてこの辛さ、どういうこと?胃がキリキリする。12月なのに汗かいて扇風機の風が気持ちいい。

食後は浅草寺にお参りに行き、おみくじを引いたら『大吉』が出た。嬉し!

亀十に列んでどら焼き買って、奈美さんとはここでお別れ。

2時間ほど浅草を散歩する。途中でシードルを1本飲んで、蛇骨湯という銭湯に寄った。

なぜか蛇口の湯も湯船のお湯も茶色い。露天風呂で一緒になった小学生の子に「なんで茶色いのかな?」と聞くと「わかんない、でも今日食べた鰯の飴もこんな色だった」と言われ「え、鰯?鰯の飴なんてあるの!?」さすが浅草っ子はしぶいもん舐めてんなぁと思ったら「鰯じゃない!岩塩!」と訂正された。あぁ、岩塩ね、なるほど、塩ね、塩か、それはあるかもね。

でもどこにもお湯の効能書かれてないから、ただお水が茶色いだけだったりしてなんてね。

浅草線で品川へ出て、東海道線で横浜へ、途中異常音がしたとかで電車が止まる。

乗車率120%ぎゅうぎゅうで立たされたまま待たされると発狂しちゃいそう。

それにわたしはお芝居を観に行く最中なので、このまま動かなかったらどうしようどうしてくれる責任取ってくれるのチケット代払ってくれるの、みたいなことばかり考える。まぁでも動きました。

13分だった、止まってた時間は。今後わたしの満員電車で立たされる限界は13分と定義することにする。

アナウンスによると衝突したのは小動物だったらしい。小動物ってなんだろう、鳥?猫?犬?狸?小動物だったから良かったね、なんてことはないのだけど、でも人身事故だったらこのまま1時間近く待たされただろう、それだけは 絶 対 に 嫌 だから、まぁとにかく運転再開してくれて良かったですと思う。

KAATで『三月の5日間』を観た。のれなかったなぁ、こののれなさはなんなのか、考えてみよう(って、ほんとはもう分かってるんだけど、言わない)。でも初演より戯曲のうまさが際立ってよく見えた。寸分の狂いなく積み上がっていった。めちゃくちゃうまい本だな。当時この作品が小劇場界に核弾頭のようにぶち込まれハレーション起こしちりぢりに散らばって隔世遺伝した子がボコボコと生まれたってことか、すごい作品だということを改めて思い知る岡田利規すげぇのリクリエーション版なのかもしれない。

 

翌日追記:それと、衣装キョンちゃん(藤谷香子)の仕事が凄まじく良かったな。あれは、パーフェクトなんじゃないだろうか。一人づつの役に合せただけじゃなくて、照明、美術、舞台幅、トータルに計算して色や形や素材を選んでいることが客席から見てとれた。

全員があの床のVラインを軸に演出(振り)が付いていたのシンプルで良かったんですけど、あの最初にしゃべる女の子、袖の長いVラインのトレーナー、あれもキョンちゃんらしいおちゃめな仕掛けだなと思ったし、それをいいねとして採用した岡田さんも良いなと思いました。キョンちゃんすごいっす。

 

 

11-26

  • 2017.11.26 Sunday
  • 03:07

 

 

『バルパライソの長い坂をくだる話』のことを思い出していた。

 

わたしは先に新潮を買って読んだ口で、まず『バルパライソの長い坂をくだる話』(戯曲)、このタイトル後ろにある(戯曲)という言葉がトラップで、引っかかった。
書かれた文章を平面ではなく立体的に、演劇であることを想像しながら読む。

この言葉がどんな演劇になるのか、アルゼンチン、パラグアイ、小笠原諸島、沖縄、海、畑、船、月食、次々と景色が変わる。しかしなぜか場所は変われどそこに実在感がない。無臭と異臭の間、畑と大豆の間、夜と昼の間、海と空の間、生と死の間だったり、いつだって体は”間”で宙ぶらりんに吊り上げられたまま、ふわふわと着地できないでいるよう。
わたしがこの戯曲で一番演劇的だなと感じたのは、終盤”業者の男と連れだった頭の弱い男が再び現れ立場が逆転しているシーン”(とあえて書く)である、そして頭の弱かったはずの男が突然朗々と語り出すのですが、その長いセリフの中にある、バルパライソの坂の途中の広場?で、人を買う時の合い言葉「教会の鐘を鳴らしてほしいのか」という、この言葉の意味を考え尽くせぬまま、押し流されるように辿り着くラストシーンの美しさに、ただ泣いた。

そして、京都で観た演劇『バルパライソの長い坂をくだる話』である。
わたしの凡庸な想像力を嘲笑うかのように幕が開くとまさかの書き割り、学芸会みたいな舞台美術に彫りの深い美しい外国人たちが列ぶ  可笑しい 笑。
そして先に述べた演劇的だと感じた”業者の男と連れだった頭の弱い男が再び現れ立場が逆転しているシーン”は簡易的に省略され、頭の弱い男の長いセリフは女の音声(おそらく母親役の女)がスピーカーから流れた。そのセリフの最中、戯曲の中では最後まで車から出てこず、一言も言葉を発さない母親が、まさかのラメ入レオタードで前衛的なダンスを踊った。可笑しい。この演出は想像できなかった、戯曲を先に読んでたわたしは頭の中で物語が二分した。

しかし邪推すると、例えばこのセリフを語るはずだった男はダンサーであり、セリフを覚えられなかったのかもしれない。又はダンサーである彼は言葉を使って演技をすることを拒んだのかもしれない。なんてことがもしあったとしても、知らないけど、でもこれが演劇のいい所であり面白い所で、一つの作品を作る為にそれぞれ得意な分野を持った人が呼び集められて、決められた日時に人前で見せる為の作品を作る、そこに集まる人は生まれも育ちもそれぞれで、だれがどんな人かなんて全く知らないまま集まる。

日本人同士だって分かり合えなさに心も体も擦り減ってうんざりするけど、この作品は、国も文化も言語も様々であって、全てを分かり合うことはとうてい出来ないんじゃないか、作品の目指すビジョンもそれぞれ違ったんじゃないだろうか、それでもこの戯曲を、それぞれが信じる方法で最大限有効に観客に伝える作品に仕上げるという任務を遂行する人々の純粋な思い、芸術家たらんとする矜持が幾重にも折り重なり、歪な、美しい『滑稽』さが生まれた。


この『滑稽』さ、というのがこの作品最大のミソであって、それは戯曲に書かれた、神戸から移民船に乗ってパラグアイに渡ったおじさん、父島でバーを営みきっと島で死んでいくのであろうアメリカ人の男、沖縄で焼き鳥を焼きながら遺骨を発掘する若い男、船の二等客室で見知らぬ人たちと巻き寿司状態になって転がるぼく、果ては死んでしまった父親、その父親の灰を抱えたまま車から出ようとしない母親、あらゆる人々が哀しく、なんだか『滑稽』だ。でもこの『滑稽』さというのはどれも、本人が悪い訳ではなく、ただおのずとそうなってしまった『滑稽』さ、それは抗うことが出来ない大きな力が働いて、渦に飲み込まれるようになるべくしてなってしまった『滑稽』さ、そしてその大きな力は「神」ではなく「人間」の力によるもの、それは”イコール”人の「過ち」によるものだ。
そしてその罪は日本語で書かれた戯曲をわざわざスペイン語で聞かされ必死で字幕を追いながら演劇を見させられるわたしたち観客にも課せられていた。
その『滑稽』であることを、役者もダンサーも演出家も強く、胸を張って引き受けていた。

その姿が、とてつもなく美しくて、涙が出た。


そしてラストシーン、戯曲を読んだ時から(これはヤバイ)と心してたけど、やっぱり大落涙 笑。たった一言、一言の台詞で、これまでの数々のエピソードを易々と集約してしてしまった。全てはこの台詞を言うための前振りだったと、ある意味とてもズルいけど、泣いてるから負けた。

始まったときから予感した、これは、もう二度と見ることが出来ないであろう時間、今、目の当たりにしている奇跡のような光景、これが演劇なんだとすれば、演劇はなんて素晴らしいんだろうね。わたしは演劇を諦めそうになってたけど、そうしないで済んだ。そしてわたしは観てない人より拳一つ分は確実に幸福だろう、いやきっと、そうだと、断言する。

 

 

 

 

 

 

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