6-27

  • 2018.06.28 Thursday
  • 04:45

 

今日はなにもない一日で、いや正しくは夜体操教室があるけど、20時からだから、それまでなにもない一日で、

水曜日は映画を観るのがいつもの過ごし方なんだけど、どうしても観たい映画もない。

それでだから寝ることにした。

今日は風が強かった。

窓を開けると、カーテンが大きく揺れる。

暑すぎず、寒くもなく、ちょうどいい、光と風、心地よい。

左足のほう、壁の隅に丸くなって眠るももが居る。

ももが寝ている。

わたしも寝ている。

二人というか二匹というかわたしたちは、光と風の中、ずーっと寝ていた。

ももは最近一気に元気がなくなってしまってご飯をほとんど食べない、なんとなく、そろそろかなと、心の準備をしている。

こうして二人というか二匹というかわたしたちがいつもでも寝ていた今日のことを忘れないでいたいと思いながら寝た。

 

夜、試聴室の体操は男性3人、女性1人、始めて男性の方が多かった。

改めて男性の体と女性の体の造り、稼働域や体の使い方の違いに頭を抱える。

同じ動きを同じカウントでやるのは有効じゃない。

男性には男性の体操を考えないとなぁ。

体も大きくて硬いから力がいるし時間もかかって終ったの21時半。くたくた。

そこから根津さんのいつものおしゃべりタイムが23時過ぎまで、

家に帰るとももは寝ていた。

今も、寝ている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5-26

  • 2018.05.27 Sunday
  • 03:17

 

おとつい、7時のバスに乗って大阪から東京に戻って来た。

15時半に大崎駅に着いて、仕事までまだ少し時間があったから、荷物をガラガラ轢きながら五反田まで歩き、おにやんまで鳥天うどんを食べた。

まだ大阪に居たかった気持ちと東京に戻ってきた安堵感みたいなのが入り交じった味がした。

大阪ではdracomリーダー筒井さんのご自宅に滞在させてもらっていたのだけど、わたしは実家というか、帰る家がないから、

朝起きたらみんなが居て、一緒にご飯を食べて、テレビを見て、コーヒー淹れたらまたみんな集まって飲んでって、そういうことにいちいち感傷深くなっちゃって、向こうにしたらそんなわたしがちょっとうっとうしかったかもしれないけど、それでもわたしは嬉しくて、幸せだった。

それにうまくいかないことが続いて落ち込んでいたけど、筒井さんのお父さんが「あかんあかん、ボブ・デュランの歌にもあるやろ、なんとでもなるって、気にせえへん、大丈夫」って繰り返し言ってくれたおかげで元気になれた。

 

今日はblanClass農園で体操教室をした。

 

とりあえず、ここまでで一区切りする。この5ヵ月で7本くらい?作品作ったり出たり、した。

ちょっとくたくた。少し休もうと思う。

 

4-30

  • 2018.05.01 Tuesday
  • 01:44

 

 

今日はSICF19というイベントに参加するために朝からずーっと表参道にいた。

先週はこの作品を一気に仕上げなくてはいけないこと、いくつかの平行した仕事、そしてとてつもなく衝撃的な出来事があって、心も体も頭もみんな疲れた。

 

4月が終った事に心底ホッとしている。

5月はどうだろうか。

やさしいだろか。

 

 

 

 

3-6

  • 2018.03.06 Tuesday
  • 04:35

 

思い込むことでその世界をどんと作り出してしまう事ができる。

ひとつ大きく作ってしまうとなかなか出られない。

それでもそこは思い込みでしかないから現実が確かな(思い込みとは違う)応えを返した時そこで誤作動が起る。

そこでどういった処理を行なうかといえば、忘却だ、暴力的なまでの放り投げ、ひきちぎって捨てる。

俳優という仕事はそれの繰り返しでもあったから人より上手に出来るかもしれないけど、その回数が多くて捨てきれなかった(捨てられる事を拒んだ)ちりが溜ってたまに悪夢になって踊り出す。

どれが本当のことか、正しさとはなんだろう、これはだれの感情だ、わたしとはなんだ。

思い込みの中だけでは生きられない。

だれかにこれはいる、いらない、こうしなさい、必要ない、今日はこれを食べて、この曲を聞いて、この本を読みなさい、全部決めてもらえたらいいような気もする。

今が20年前の春ならいいのに、どうしてこんなに歩くのが遅いんだろうか、もうだれも居ないじゃないか。

正しくないと分かっていることに惹かれる、直進しながら逆走を計る心のエネルギーに逆らえない。

けど去年の春に決めたこと、わたしはなにも欲しがらない、求めない、ある物を受け入れ、与えられた物を大切に、真摯に取り組む。

 

 

しゃっくりが止まらない。

 

12-6

  • 2017.12.07 Thursday
  • 02:29

 

今日はお昼に待ち合わせて浅草のモンティーでご飯を食べた。

連れて行ってくれたのは照明家の中山奈美さん。

奈美さん本当はモンティーのはす向かいにあるオーセンティックというベトナム料理屋さんがおススメだったらしいんだけど、あいにく今日はランチ営業はしてなかった。

二人で、魚貝の春雨炒めとゲーンキョウワンとバミーモンティをシェアして食べる。

ゲーンキョウワンとバミーモンティすっごい辛かった。

辛くしないでと伝えてこの辛さ、どういうこと?胃がキリキリする。12月なのに汗かいて扇風機の風が気持ちいい。

食後は浅草寺にお参りに行き、おみくじを引いたら『大吉』が出た。嬉し!

亀十に列んでどら焼き買って、奈美さんとはここでお別れ。

2時間ほど浅草を散歩する。途中でシードルを1本飲んで、蛇骨湯という銭湯に寄った。

なぜか蛇口の湯も湯船のお湯も茶色い。露天風呂で一緒になった小学生の子に「なんで茶色いのかな?」と聞くと「わかんない、でも今日食べた鰯の飴もこんな色だった」と言われ「え、鰯?鰯の飴なんてあるの!?」さすが浅草っ子はしぶいもん舐めてんなぁと思ったら「鰯じゃない!岩塩!」と訂正された。あぁ、岩塩ね、なるほど、塩ね、塩か、それはあるかもね。

でもどこにもお湯の効能書かれてないから、ただお水が茶色いだけだったりしてなんてね。

浅草線で品川へ出て、東海道線で横浜へ、途中異常音がしたとかで電車が止まる。

乗車率120%ぎゅうぎゅうで立たされたまま待たされると発狂しちゃいそう。

それにわたしはお芝居を観に行く最中なので、このまま動かなかったらどうしようどうしてくれる責任取ってくれるのチケット代払ってくれるの、みたいなことばかり考える。まぁでも動きました。

13分だった、止まってた時間は。今後わたしの満員電車で立たされる限界は13分と定義することにする。

アナウンスによると衝突したのは小動物だったらしい。小動物ってなんだろう、鳥?猫?犬?狸?小動物だったから良かったね、なんてことはないのだけど、でも人身事故だったらこのまま1時間近く待たされただろう、それだけは 絶 対 に 嫌 だから、まぁとにかく運転再開してくれて良かったですと思う。

KAATで『三月の5日間』を観た。のれなかったなぁ、こののれなさはなんなのか、考えてみよう(って、ほんとはもう分かってるんだけど、言わない)。でも初演より戯曲のうまさが際立ってよく見えた。寸分の狂いなく積み上がっていった。めちゃくちゃうまい本だな。当時この作品が小劇場界に核弾頭のようにぶち込まれハレーション起こしちりぢりに散らばって隔世遺伝した子がボコボコと生まれたってことか、すごい作品だということを改めて思い知る岡田利規すげぇのリクリエーション版なのかもしれない。

 

翌日追記:それと、衣装キョンちゃん(藤谷香子)の仕事が凄まじく良かったな。あれは、パーフェクトなんじゃないだろうか。一人づつの役に合せただけじゃなくて、照明、美術、舞台幅、トータルに計算して色や形や素材を選んでいることが客席から見てとれた。

全員があの床のVラインを軸に演出(振り)が付いていたのシンプルで良かったんですけど、あの最初にしゃべる女の子、袖の長いVラインのトレーナー、あれもキョンちゃんらしいおちゃめな仕掛けだなと思ったし、それをいいねとして採用した岡田さんも良いなと思いました。キョンちゃんすごいっす。

 

 

11-26

  • 2017.11.26 Sunday
  • 03:07

 

 

『バルパライソの長い坂をくだる話』のことを思い出していた。

 

わたしは先に新潮を買って読んだ口で、まず『バルパライソの長い坂をくだる話』(戯曲)、このタイトル後ろにある(戯曲)という言葉がトラップで、引っかかった。
書かれた文章を平面ではなく立体的に、演劇であることを想像しながら読む。

この言葉がどんな演劇になるのか、アルゼンチン、パラグアイ、小笠原諸島、沖縄、海、畑、船、月食、次々と景色が変わる。しかしなぜか場所は変われどそこに実在感がない。無臭と異臭の間、畑と大豆の間、夜と昼の間、海と空の間、生と死の間だったり、いつだって体は”間”で宙ぶらりんに吊り上げられたまま、ふわふわと着地できないでいるよう。
わたしがこの戯曲で一番演劇的だなと感じたのは、終盤”業者の男と連れだった頭の弱い男が再び現れ立場が逆転しているシーン”(とあえて書く)である、そして頭の弱かったはずの男が突然朗々と語り出すのですが、その長いセリフの中にある、バルパライソの坂の途中の広場?で、人を買う時の合い言葉「教会の鐘を鳴らしてほしいのか」という、この言葉の意味を考え尽くせぬまま、押し流されるように辿り着くラストシーンの美しさに、ただ泣いた。

そして、京都で観た演劇『バルパライソの長い坂をくだる話』である。
わたしの凡庸な想像力を嘲笑うかのように幕が開くとまさかの書き割り、学芸会みたいな舞台美術に彫りの深い美しい外国人たちが列ぶ  可笑しい 笑。
そして先に述べた演劇的だと感じた”業者の男と連れだった頭の弱い男が再び現れ立場が逆転しているシーン”は簡易的に省略され、頭の弱い男の長いセリフは女の音声(おそらく母親役の女)がスピーカーから流れた。そのセリフの最中、戯曲の中では最後まで車から出てこず、一言も言葉を発さない母親が、まさかのラメ入レオタードで前衛的なダンスを踊った。可笑しい。この演出は想像できなかった、戯曲を先に読んでたわたしは頭の中で物語が二分した。

しかし邪推すると、例えばこのセリフを語るはずだった男はダンサーであり、セリフを覚えられなかったのかもしれない。又はダンサーである彼は言葉を使って演技をすることを拒んだのかもしれない。なんてことがもしあったとしても、知らないけど、でもこれが演劇のいい所であり面白い所で、一つの作品を作る為にそれぞれ得意な分野を持った人が呼び集められて、決められた日時に人前で見せる為の作品を作る、そこに集まる人は生まれも育ちもそれぞれで、だれがどんな人かなんて全く知らないまま集まる。

日本人同士だって分かり合えなさに心も体も擦り減ってうんざりするけど、この作品は、国も文化も言語も様々であって、全てを分かり合うことはとうてい出来ないんじゃないか、作品の目指すビジョンもそれぞれ違ったんじゃないだろうか、それでもこの戯曲を、それぞれが信じる方法で最大限有効に観客に伝える作品に仕上げるという任務を遂行する人々の純粋な思い、芸術家たらんとする矜持が幾重にも折り重なり、歪な、美しい『滑稽』さが生まれた。


この『滑稽』さ、というのがこの作品最大のミソであって、それは戯曲に書かれた、神戸から移民船に乗ってパラグアイに渡ったおじさん、父島でバーを営みきっと島で死んでいくのであろうアメリカ人の男、沖縄で焼き鳥を焼きながら遺骨を発掘する若い男、船の二等客室で見知らぬ人たちと巻き寿司状態になって転がるぼく、果ては死んでしまった父親、その父親の灰を抱えたまま車から出ようとしない母親、あらゆる人々が哀しく、なんだか『滑稽』だ。でもこの『滑稽』さというのはどれも、本人が悪い訳ではなく、ただおのずとそうなってしまった『滑稽』さ、それは抗うことが出来ない大きな力が働いて、渦に飲み込まれるようになるべくしてなってしまった『滑稽』さ、そしてその大きな力は「神」ではなく「人間」の力によるもの、それは”イコール”人の「過ち」によるものだ。
そしてその罪は日本語で書かれた戯曲をわざわざスペイン語で聞かされ必死で字幕を追いながら演劇を見させられるわたしたち観客にも課せられていた。
その『滑稽』であることを、役者もダンサーも演出家も強く、胸を張って引き受けていた。

その姿が、とてつもなく美しくて、涙が出た。


そしてラストシーン、戯曲を読んだ時から(これはヤバイ)と心してたけど、やっぱり大落涙 笑。たった一言、一言の台詞で、これまでの数々のエピソードを易々と集約してしてしまった。全てはこの台詞を言うための前振りだったと、ある意味とてもズルいけど、泣いてるから負けた。

始まったときから予感した、これは、もう二度と見ることが出来ないであろう時間、今、目の当たりにしている奇跡のような光景、これが演劇なんだとすれば、演劇はなんて素晴らしいんだろうね。わたしは演劇を諦めそうになってたけど、そうしないで済んだ。そしてわたしは観てない人より拳一つ分は確実に幸福だろう、いやきっと、そうだと、断言する。

 

 

 

 

 

 

11-23

  • 2017.11.24 Friday
  • 04:02

 

今日は決定的な事がひとつわかったのでした。

わたしは東京に居る必要がない。

東京じゃなきゃいけないことも、東京じゃなきゃ出来ない事もない、もう、ない。

自分のやりたいことはどこででも出来ると思う。

正直言ってもう東京に居たくない。

と気付いて最良の道を見つけたつもりが時既に遅かった。

道は閉ざされていた。3日前、たった3日、遅かった。

他にどんな手が、道があるんだろ、この先、どんな風に生きていくんだろか、わたし。

 

 

 

 

 

10-20

  • 2017.10.21 Saturday
  • 02:01

 

 

昨日、ようやく、見えた。やっと、手が届いた。

 

この作品は、わたしが芝居をしている最中、見ることができる、光のようなもの(見える時と、見えない時がある)、それを、意図的に発生させるための公演であり、実験です。

願わくば,わたしの見るその光を、見に来た人たちと共有したい、そして、わたしが見た光と、あなたが見た光、それがどんなものだったか、あとで、教えてほしい。

 

まずはそこに行きつくことを、それは集中力にかかっている。

力み過ぎず、考え過ぎず、狙わない、ふとした瞬間に落ちる、無重力のような時間にまずは到達しなくてはいけない。

池間さんの声は、その光に近い音をしている。

 

二人でどこまでいけるか、あと5日。

 

どうかたくさんの人に見に来てほしい。

 

 

『もうそこに居ない人たち』

http://scool.jp/event/20171026/

 

 

 

10-7

  • 2017.10.08 Sunday
  • 01:29

 

あっという間に10月も一週間すぎた。

今週は体調が悪くて銭湯の仕事に行く以外はずっと寝ていた。

休んだり早退ばかりしているのに昼の職場の皆さんとてもやさしいから、行けば好きなもの好きなだけ食べろとたくさん食べさせてくれる。実家のようだ。只もの凄く寒いのでこれからの季節は辛い。

 

あいかわらず大したことはしていない。

それは作品のこと。

ぽつぽつ練習はしている。

池間さんはあと数回は見てるだけだと思うと言っていたからわたしはやっているのを見せなくてはいけない。

稽古見せるのはもの凄く恥ずかしい。見られている演技になってしまう。一人でやっているわたしをこっそり気付かれないように見てくれたらいいのに、みんな、お客さんも。なんてね。

 

今日は京成佐倉へ行った。遠かった。けど行きの電車はずっと寝ていた。

久しぶりに会った小島くんに「いまなんでも出来そうな気がするんだよね」と言ったら「全能感だね」と言われた。

帰りの電車の中でぼんやり思い出してそれは「全無能感」かもと思った。わたしはなにも出来ないの、なにものでもない、無能なのよ、それでいいと思うようになって、だからなにも怖くないと思えるようになったんだよ、ポジティブな無能感、ふふふ。と笑いながらまた眠ってしまった。

 

 

 

9-17

  • 2017.09.18 Monday
  • 03:57



昨日の日記書き途中なんだけど、まだうまく書けず、今日先出し。

 

公演情報を公開して5日たった。

たくさんの人に向けて発信し、それに対して多くのリアクションを頂き、現に予約も少しずつ増えてます。

それによって自分が少しハイになったことも自覚してる。

ハイに押されての効果なのか冴えた。寝ないで書き直した台本はこれなら出来そうなものになった。

そしたら無意識に覚えに入った。

もう出来ちゃうな、わたしは出来きる自信がある。

これ悪いことではないし良い方に流れてるはず、それは確か、でも一旦寝かせよう。

数日、この作品について考えることをやめようと思う。

一緒に作る人がいるのに、一人でイメージ固まったら聞く耳もたなくなっちゃうから、

一旦忘れます。

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