11-26

  • 2017.11.26 Sunday
  • 03:07

 

 

『バルパライソの長い坂をくだる話』のことを思い出していた。

 

わたしは先に新潮を買って読んだ口で、まず『バルパライソの長い坂をくだる話』(戯曲)、このタイトル後ろにある(戯曲)という言葉がトラップで、引っかかった。
書かれた文章を平面ではなく立体的に、演劇であることを想像しながら読む。

この言葉がどんな演劇になるのか、アルゼンチン、パラグアイ、小笠原諸島、沖縄、海、畑、船、月食、次々と景色が変わる。しかしなぜか場所は変われどそこに実在感がない。無臭と異臭の間、畑と大豆の間、夜と昼の間、海と空の間、生と死の間だったり、いつだって体は”間”で宙ぶらりんに吊り上げられたまま、ふわふわと着地できないでいるよう。
わたしがこの戯曲で一番演劇的だなと感じたのは、終盤”業者の男と連れだった頭の弱い男が再び現れ立場が逆転しているシーン”(とあえて書く)である、そして頭の弱かったはずの男が突然朗々と語り出すのですが、その長いセリフの中にある、バルパライソの坂の途中の広場?で、人を買う時の合い言葉「教会の鐘を鳴らしてほしいのか」という、この言葉の意味を考え尽くせぬまま、押し流されるように辿り着くラストシーンの美しさに、ただ泣いた。

そして、京都で観た演劇『バルパライソの長い坂をくだる話』である。
わたしの凡庸な想像力を嘲笑うかのように幕が開くとまさかの書き割り、学芸会みたいな舞台美術に彫りの深い美しい外国人たちが列ぶ  可笑しい 笑。
そして先に述べた演劇的だと感じた”業者の男と連れだった頭の弱い男が再び現れ立場が逆転しているシーン”は簡易的に省略され、頭の弱い男の長いセリフは女の音声(おそらく母親役の女)がスピーカーから流れた。そのセリフの最中、戯曲の中では最後まで車から出てこず、一言も言葉を発さない母親が、まさかのラメ入レオタードで前衛的なダンスを踊った。可笑しい。この演出は想像できなかった、戯曲を先に読んでたわたしは頭の中で物語が二分した。

しかし邪推すると、例えばこのセリフを語るはずだった男はダンサーであり、セリフを覚えられなかったのかもしれない。又はダンサーである彼は言葉を使って演技をすることを拒んだのかもしれない。なんてことがもしあったとしても、知らないけど、でもこれが演劇のいい所であり面白い所で、一つの作品を作る為にそれぞれ得意な分野を持った人が呼び集められて、決められた日時に人前で見せる為の作品を作る、そこに集まる人は生まれも育ちもそれぞれで、だれがどんな人かなんて全く知らないまま集まる。

日本人同士だって分かり合えなさに心も体も擦り減ってうんざりするけど、この作品は、国も文化も言語も様々であって、全てを分かり合うことはとうてい出来ないんじゃないか、作品の目指すビジョンもそれぞれ違ったんじゃないだろうか、それでもこの戯曲を、それぞれが信じる方法で最大限有効に観客に伝える作品に仕上げるという任務を遂行する人々の純粋な思い、芸術家たらんとする矜持が幾重にも折り重なり、歪な、美しい『滑稽』さが生まれた。


この『滑稽』さ、というのがこの作品最大のミソであって、それは戯曲に書かれた、神戸から移民船に乗ってパラグアイに渡ったおじさん、父島でバーを営みきっと島で死んでいくのであろうアメリカ人の男、沖縄で焼き鳥を焼きながら遺骨を発掘する若い男、船の二等客室で見知らぬ人たちと巻き寿司状態になって転がるぼく、果ては死んでしまった父親、その父親の灰を抱えたまま車から出ようとしない母親、あらゆる人々が哀しく、なんだか『滑稽』だ。でもこの『滑稽』さというのはどれも、本人が悪い訳ではなく、ただおのずとそうなってしまった『滑稽』さ、それは抗うことが出来ない大きな力が働いて、渦に飲み込まれるようになるべくしてなってしまった『滑稽』さ、そしてその大きな力は「神」ではなく「人間」の力によるもの、それは”イコール”人の「過ち」によるものだ。
そしてその罪は日本語で書かれた戯曲をわざわざスペイン語で聞かされ必死で字幕を追いながら演劇を見させられるわたしたち観客にも課せられていた。
その『滑稽』であることを、役者もダンサーも演出家も強く、胸を張って引き受けていた。

その姿が、とてつもなく美しくて、涙が出た。


そしてラストシーン、戯曲を読んだ時から(これはヤバイ)と心してたけど、やっぱり大落涙 笑。たった一言、一言の台詞で、これまでの数々のエピソードを易々と集約してしてしまった。全てはこの台詞を言うための前振りだったと、ある意味とてもズルいけど、泣いてるから負けた。

始まったときから予感した、これは、もう二度と見ることが出来ないであろう時間、今、目の当たりにしている奇跡のような光景、これが演劇なんだとすれば、演劇はなんて素晴らしいんだろうね。わたしは演劇を諦めそうになってたけど、そうしないで済んだ。そしてわたしは観てない人より拳一つ分は確実に幸福だろう、いやきっと、そうだと、断言する。

 

 

 

 

 

 

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