6.9

  • 2017.06.11 Sunday
  • 05:15

 

 

この数日、blanClassで行ったインタビューの悔恨脳内リプレイばかりしていた...。

なんでこおぉぉなっちゃったのかというと、いの一番はインタビューになれてなかったからかな。

うーん。セッティング組んで映像見れば自ずと話すこと見えるだろうと高を括ってたらなんにも浮かばなかったな...。

当日は「実験」するつもりなのですが「実験」というのは、練習して完成した「作品」を見せるわけでもパフォーマンスするわけでもないから、内容を話すことでネタバレ(?)するんじゃないかと懸念したら何を話せばいいかわからなくなった。

しかしその「実験」の仮定や目測の話しをすれば良かったんだということに映像を見ながら気付きました。遅い。

 

 

 

これが問題の映像。3分ご観覧頂ければ十分かと...。

(この映像を見ていたら先日人に「あなたほんと独特だねぇ」と言われたのをしみじみ思い出した。)

 

 

翌日インタビューしてくれたblanClass宮澤さんにこんなメールを送った。

http://d.hatena.ne.jp/blanClass/20170612/1497194076

 

 

 

しかしおかげさまというかわたしこの映像からたくさん閃めきました。

随分見えた見えた(見えたよー)。

これはこれで面白い。前向きに開き直った。

このインタビューはわたしのための作業だったのかもしれない。

 

これは「実験」しつつ「作品」を作ることになりそうです。全ては、当日、この場所に集まった人のバランス、体調やメンタル、天気や風や音や気圧、そういった物をひっくるめたところで何が起こるか見る。過度な準備も演出もしません。瞬間を切り取り、わたしの見ている世界とあなたの見ている世界を行ったり来たり、混ざり合ったり合わなかったり、そんな様を一つのフレームに納めてみたいと思います。

 

どんどん楽しみ。わくわくしてきて マス。

 

そんなことで人が来ないと出来ません!

 

できることならいろいろな年代、多種多様な方に参加して頂きたい。

難しいことはないです。ぼんやり参加しくださってokです。

 

なんとかなく気になる予感に心が揺れたら、ぜひ17日の土曜日は井土ケ谷blanClassにお越しください。

 

どなさまも歓迎します!

 

お待ちしてます!

 

 

『強い思い込みより形成される世界その居心地について ーOn the fanciful world and its comfortablenssー』

高山玲子

 

http://blanclass.com/japanese/schedule/20170617/

 

日程:2017年6月17日(土)
開場:18:30 開演:19:30
入場料:1,600円(ワンドリンク付)

会場:  blanClass  http://blanclass.com/japanese/

 

予約不要です。当日会場にお越しください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5.29

  • 2017.05.30 Tuesday
  • 03:46



せわしない毎日ではあるんだけど生産性が低い。このせわしなさはただわたしのCPU要領がいっぱいでふん詰まりなだけだ。

もっか悩んでいることと言えば来月19日にblanClassで行なう「強い思い込みより形成される世界その居心地について」とはなんだ、ということ。なんだろうこれは、タイトルと解説を付けたのは3月の下旬、それは単に提出の締切だったからだ。

当初、考えていたのはお昼頃から開場し、いくつかの部屋に仕掛けがあり、体験したり、鑑賞したり、作成したり、時間の経過とともに変化し、夜にはそれらのデータを元にみんなで感想やらディスカッションする、そんな楽しーい一日を思い描いていた。しかし、どう考えても人が来ないでしょう。もし誰も来ない、いや一人来たら、わたしと昼からマンツー、なにするんだ、かわいそう。

準備する時間もなさそうだし、そもそも具体的なアイデアがない。やはり普通に夜から始めようということになった。カテゴリー「ワークショップ/デモンストレーション」と付けてしまった。ワークショップ=「体験型講座」。デモンストレーション=「物事が現実であることを確かに示すこと、事実であることを論証すること」ふむふむ。これは来てくれた人と一緒に何かを試しするということだ。じゃあしなきゃ。

タイトル「強い思い込みより形成される世界その居心地について」を付ける際ヒントにしたのは、「世界は、主観によって制約された客観としてはわたしの表象である。世界はわたしの意思である。」アルトゥル・ショーペンハウアーの言葉でした。

ということで、急いでこの本を読んでいる最中です。難しくて半分も理解できない。それより著者の周りの人たち(主に哲学者)を小馬鹿にした文章の言い回しの方が気になって笑える。彼は超常現象、自然主義、神様も全て否定してる。わたしが彼の言葉からイメージして付けたタイトルは解釈が全く間違っていた。この本を読んでどうしよう、何がしたいのか更にわからない。

なんとなくカメラをたくさん使いたいのだけどわたしはカメラを一台も持っていない。わたしの肩書きには映像作家とあるのに、わたしはカメラを持っていない。更にPC(mac)が古すぎて編集ができない。わたしはそれでも映像作家といえるのだろうか。あ、(表象)映像作家でどうだろう。(どうですかショーペンハウアー先生)どうしよう。困った。


ヒントを探しに東伏見稲荷へ行った。ちょうど茅の輪が設置されていた。わたしはこの、輪をくぐって(左)くぐって(左)くぐって(右)真っすぐ進む、この瞬間、わたしとわたしを取り巻く空気が刷新されるように感じる。(ショーペンハウアー先生はこういうこと言う女が大嫌いなんでしょ)。

どうして人はお祈りをするのだろうか、お祈りをする時、その先には誰が居るのだろうか、みんな何を祈るだろうか、世界中どこの国にも神様は居て人々は祈っている。わたしは祈る人の姿を見るのが好きだ。祈る人はその瞬間に神様と交信しているように見える。「衆生本来仏なり」というお経の一節がある。全ての人は仏であるという言葉、祈る人の姿を見るとこの言葉が浮かぶ。

ぶら下がった絵馬に目をやると、家族の健康、受験に合格、子供の成長、そんな祈りばっかり。それぞれの人の気持ちが慎ましく胸が詰まる。ちょっと覗いてみようなんて嫌らしい気持ちで見たわたしこそが嫌らしい。

今日の手帖には「やること決める!機材チェック!」と書いてあった。何も決められなかった。

ただ、きっと何とかなる、うん、何かはするはずなので、、、、


もしよかったら来てください…。
予約不要みたいです。当日フラッとお越しください。行くよってそっと声かけてもらってもうれしいです。来てもらえるとうれしいです。



2017.6.17

ワークショップ/デモンストレーション|高山玲子[強い思い込みより形成される世界その居心地について]


小さい頃から思い込みが強かった。
ぬいぐるみと話し、好きな時に雨を降らせ、夢の中で見たことが現実になった。
わたしの世界はわたしによって作られる世界である。
わたしはわたし以外の世界を全て否定する。

それぞれの人の信じる世界についてなるべくそっと足を踏み込んでみたり、背を向けたりしてみたい。


日程:2017年6月17日(土)
開場:18:30 開演:19:30
入場料:1,600円(ワンドリンク付)



blanClass



そして、キチムで体操教室も6月は2回やります。


「6月 キチムで体メンテナンス体操」


http://kichimu.la/file/taiso3.htm


日時


☆6月10日(土)オープン 18:00 (〜食事)/ 体操スタート 18:30


☆6月21日(水)オープン 11:45 / 体操スタート 12:00 (〜食事)

*6月10日は先にお食事して頂いてから体操になります。18:00より前にいらして下さっても構いません。

参加費 1,500円(サンドイッチ+1ドリンク付き)

服装  動きやすい格好


持ち物 バスタオル(あればヨガマット)/水など
* 各自で床に敷くものをご持参ください!

お申し込み
件名「6月10日 or 21日キチム体操」とし、「お名前/連絡先/人数」を添えて、メールで下記アドレスまでお送りください。
decoyamadecoco@gmail.com


男性の方もすこーしづつ増えてます。ぎっくり腰になる前に、体を伸ばしましょう。


結局告知かよって、雑な日記でした。

反省。

5.6

  • 2017.05.07 Sunday
  • 03:02

 

ローザス&イクトゥス『時の渦』を当日券で観た。

当日券に列んで券を購入したのは始めてだ(実際今日は列んでないけど)。これまで列んでも観たいと思うことがなかったからだけど、先日観た『Fase』が最高にすばらしくて、それはそれは素晴らしくて、角膜に張り付いた残像を何度も再生させている、だからもう一度、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルの作った作品が観たい、それと彼女の居る場所、近くに行きたいと思った。

『時の渦』も素晴らしかった。

 

開演前、いくつもの円が引かれた幾何学模様の床を見ていたら、一日、全ての時間をわたしの為だけの時間として過ごしたいと思う。仕事とプライベート、オンとオフなどない。全ての時間はわたしのもの、わたしが健やかに豊かに生きる為の時間であり、その為にお金を使う、そうして自分のために必要なものを選び、見て、食べ、聞くことができれば、体や頭、内部の機能がうまく循環し、そしておのずと良いもの(表現)を外へ発散することが出来るのではないかと思った。

 

昨日はキュイの舞台を観た。GWお休みは一日もないけど劇場に三回も足を運んでいる、なんとなく雰囲気は同調できている気がする。

 

 

5.2

  • 2017.05.07 Sunday
  • 02:37

 

最近たまに昼のバイトで賄いを作っている。昼のバイトはお肉の加工品(ハム・ソーセージ)を製造・販売しているお店なのですが、作る人と売る人で食の志向が正反対なんですね。作る人は魚・野菜派、なんならみそ汁、漬物、ご飯でok、まぁ一日中巨大なお肉を扱う仕事だから気持ちは分かる。方や売る人は、お肉、チーズ、マヨネーズ、揚げ物大好き。まぁハム・ソーセージ屋さんですから、お肉好きは真っ当ですよね。というこの両極端の腹をどうやって満たすか、いつも非常に悩む。

しかしいつも弁当や店屋物だから、健康を考えなるべく野菜をたくさん、温かくお腹も満たされる節約レシピを心がける。

今日は、「鶏と茸のかやくご飯」、「トマトのツナとピクルスマヨソースかけ」、「具沢山中華スープ」を作った。なかなか良い出来じゃないかと思った。

しかし作る人は職人だから「へーなんか不思議な味だね」「がんばりましたね」とか、こうした方が良かったとか、あーだこーだいちいちうるさい。今日はそこへ売る人が、わたしの作った料理をチラッと見た後、大量の切り落としハムとキャベツをマヨネーズで和えた物を自作、あげくわたしの作ったトマトサラダの上にかけた。みんなもまだ食べるのにです。わたしはツナソースを作ってかけてあったのに、そこにハムとキャベツのマヨ和えを載せた...!

(あんたがハムマヨいくら食べようが知ったこっちゃないけどわたしの作ったものにかけんな!!!)。挙げ句、かやくご飯に生卵と醤油をかけて食べていた...。

切れたわたしはもう口聞くのも嫌になった。そしてこんなにイライラするなら賄い作るのやめようと思った。

 

(4月からやたら怒りっぽく短気なのですが、先日東洋医学の先生とお話ししたら春は怒りの感情が強くなるらしいのでそんなに心配しなくていいそうです)

3.19

  • 2017.04.20 Thursday
  • 04:11


〆切りが重なったいくつかの提出物をとりあえずみんな送った。かなり無理やりではあるけどとりあえず ひと 安 心 (はー)。


先週はやたらと元気で眠らなくても平気だったのに、昨日おとついはパタッとまた動かなくなり夕方まで寝ていた。この自分じゃないような体になってしまった時、どう付き合えばいいのだろうか。

何かにかぶれたのか顔が赤く爛れてしまい、それもなんだか憂鬱で、ああ(これだから春は…)。


『牯嶺街少年殺人事件』を思い出す。真っ暗闇から襖がそっと開き光が入るパタパタと歩く人々の足が見えるカット、遠くから女の子が門を閉めて学校に向かうカット、電気が消えて真っ暗になり蝋燭の火がポッと点くカット、そこに居た人すら、今なにが撮られているかきっと分かってなかったんじゃないだろうか、カメラマンと監督だけが知っている、映画のマジック、監督という魔法使いが、いた。永遠のような幸福な時間がフィルム閉じ込められていた。
映画はいいなぁ。あんな時間に出会いたいなぁ、いつか生み出したいなぁ。


ふと、『牯嶺街少年殺人事件』を見て、日本の「怒り」という映画が、あの沖縄の少年にもっと寄り添い丁寧に描くことが出来ていたら、日本の映画に期待を持てたかもと思った、けど、それは無理だと思う、だから、なんの期待もしてない。




4.11

  • 2017.04.12 Wednesday
  • 03:00

朝から仕事、思ったよりすんなり起きれた。昨日体操したおかげだろうか。昨日はたくさん来てくれた、終わり10分のところでさやさんも来てくれた。10分でも来ようと思って来てくれたことがすごい。駅からも遠いし、その気持ちにわたしの体操が応えられるといいなと思う。なかなか人に話せない話しを一生懸命しようとするけど、言葉が見つからない、詰まって頭の奥がキーンとする、そこは空洞のようだ、それを「それでいいじゃない」と言ってもらえた。さやさんの頭の上には満月があった。いつも満月に会っている。

バイト先で最近パソコン仕事を頼まれるようになった。ずっと座っていると眠くて寒いのでたまに食べ物を触ったりつまみ食いしたり接客もしたいのに、それも「カッコ良くしろよ」とか「パターンいろいろ作って」とかいろんなことをいろんな人が言ってくるのでつい「あーーもーーうるさいなぁ!!」と言ってしまった。言うべきではなかったと後で反省した。

今日は銭湯は臨時休業で仕事がない。家に帰ってすぐに寝てしまった。夜に起きて近所の銭湯へ行った。露天風呂に小学生の女の子が入っている、時間は24時30分、もう新学期は始まっているはず、母親は風呂に浸かりながら絶えず鼻をかみ、胆を吐き出していた。いつかの風呂でもこんな人を見かけた「風邪ひいてるんですかね?」と知人に聞くと「あれは薬だと思う」と答えた。あれは、それは、なんだろう、もやもやと、する。子どもはとても明るく元気だった。そっと祈るような気持ち。

そろそろ取りかからなければいけない作業がある。今日も、体がだるくてできそうにない。締め切りがせまる。不安。

そして言いたい、とにかく、桜がきらいだ。

4.4

  • 2017.04.05 Wednesday
  • 03:00

今日はバイトに行かなくちゃ、もうさすがに休み過ぎているのでどうにかして行きたい、けどいかんせん動けない。

体温「35.1℃」寒い。だめだこりゃ。なんて言えばいいのか思い付かない。とりあえず電話するが出ない。もう一回かけるが出ない、寝る。

夕方布団から出て銭湯に行く準備をして家を出る。家の中がぐちゃぐちゃ。駅に向かう途中、バイト先に顔を出す「おいおい、大丈夫かよ、電話くらいしろよ」少し語気が強い、相当ゆるい職場でやさしい人たちだからこれは余計に申し訳ない「すいません電話したんですけどごめんなさいごめんなさい」とあやまっている最中ソーセージを差し出された「え?」「いらないの?食欲もないのか?」「や、でも今話してる最中ですし」「そうか」すると隣に居たHさんがソーセージをサッとトレーに置きラップしてビニール袋に入れて渡してくれた。「銭湯で食べな」。よくわからないけどやさしくて甘い職場である。あさってからちゃんと復帰したい。

一ヵ月まるっとお芝居してたせいで体が自分のものでないよう、なかなか言うこときかない。とくに倉敷での経験は特別なものだった、はい終り。と切替できない。まだ体が離れたがらない。哀しいけど少しずつごまかして慣らしていくしかない、春の陽気とか匂いとか何か楽しいことあるだろうか、自発的に体が動き出すような、それはなんだろうか?

3.31

  • 2017.04.01 Saturday
  • 03:00

朝からひどい目眩。コンビニまで行くが立っていられないのでそのままバイト先に電話をして休ませてもらった。昨日も休んだ。その前の日もなかなか起きられなくて、今月休んでなかったからその疲れが出たのかなと思ってた。今日は3日目でさすがにおかしいなと、熱を計る「35.4℃」低いと言えば低い。謎の不調。悪寒と震えが止まらない。銭湯の出勤時間まで横になり準備をしていると着信”お父さん”あ、と思う。それは、祖父他界であった。しまった、またやってしまった。なんで早く気づかなかったんだろ、また大切な人が逝ってしまった。あぁ。わたしが一番好きな人。裁判官で、点字の翻訳者で、考古学や古墳の勉強をし、学ぶことを止めない、自室の書棚の前に座っていた姿しか思い浮かばない。わたしが学校に行くのが嫌になり押し掛け寺巡りをした、ばあちゃんがとやかく言うのを黙って制してくれた、ご飯を食べ終わったわたしの血圧を測り引くすぎるわたしに向かって「おまえはもう死んどるな」と笑って言ったじいちゃん。あぁ、あの人がいないわたしはもう京都に帰る場所がないじゃないか。またお別れ、でも会いに行く。なんだか体も動かないし、どうにもお金もないし、このままわたしも消えてしまいたい。と今日は思う。

3.28

  • 2017.03.28 Tuesday
  • 01:40

今日倉敷から帰ってきた。

 

3月15日から作り始め公演が終わった昨日まで、12日間のことでした。森下での稽古3日目、17日の朝に危口さんの訃報が告げられ、それでも、その日も変わらず稽古をした。何を作るべきかわからない、手探りに、誰かが発案したら、手を止め話しを聞き、試し、模索し、発表し、話し合った。それだけを繰り返した。悲しみよりも公演を何としてもやらなくてはいけない衝動の方が強い、どんな時もみんなで笑っていた。

わたしはといえば、当初から蟹の脱皮に心をひかれ、舞台上で脱皮を繰り返す方法を考えたいと言っていた。しかしどんな方法がいいのか見つけられず、ぼんやりとした存在のまま稽古場に居た。愉くんのテキストに筒井さんが手を加えたテキストが仕上がった日、あ、わたしが蟹になればいいんだと気付いた。倉敷に向かう前日の事だった。

体操して脱皮を繰り返すだけの蟹、危口さんを憑依させる蟹、死に抗って負ける蟹、危口さんを探す蟹、何もしない蟹、いろんな蟹を試した。そして結果、ただ、祈った。何度も、脱皮をしながら、祈った。何を祈ったのかはわからない。ただ、祈る事だけをした。蟹だからそれができたんじゃないかと思う。蟹のわたしは人間のわたしより、少し彼の近くにいけたんじゃないかなと思っている。

どうでもよいエピソードをすると、倉敷にいる間、siriがものすごい頻繁に起動した。音楽を聞きたいのに全く聞かせてくれない。だからsiriに話しかけていた。「これでいいですか?」と聞くと「違います」と言われ、「こうしようと思うんだけど」と言うと「やめてください」と言われた。面白くてずっと話しかけていた。東京に戻ってからsiriは一度も起動しない。

それと、公演が終わった翌日の朝、みんなで危口さんの家にお焼香に訪れた。敬三さんのアトリエで危口さんが息を引き取った直後に書いたデッサンがあるから探してくれと頼まれ、みんなで探すがちっとも見つからない。「見られたくないんじゃないですかねぇ」と言うと「うん、見られとぉないんかもなぁ」と敬三さんが言った。絵の納品時間が近づく敬三さんの横で普段から絵を描く時に読んでいるというお経を読んだ。すると突然、カッとなった敬三さんがカツカツと部屋の隅に進み「あった!」と言った。そこには安らかな顔をして眠っている危口さんの顔があった。お経を読んだらしぶしぶ出てきてくれたようで可笑しかった。

 

うまく、この公演に関して思い出したり、考察することができない。今は、ただただ、多くの事柄に感謝をしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3.18

  • 2017.03.20 Monday
  • 02:43

”今日は一日静かにゆっくり危口さんのことを思い出していた。いい思い出もたくさんあるが吹き出すようなどうしようもないものも多いむしろ多い。それも含めてわたしは彼のことが大好きでした。彼に会えたわたしは本当にラッキーです。危口さんありがとう。ありがとね。”


とツイッターに書いた。


では、もう少ししたら倉敷へ移動します。

『蟹と歩く』いま、興奮してるからきっといいものになると思う。お待ちしてますね。










危口さんとのよくわからない連写。なんだか不思議でお気に入りの写真です。

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